インタビュー Interview


「挑戦」の連続が今のキャリアに
元々、父が健啖家だったので家族で銀座のレストランなどで食べ歩く機会が多く、自然と「食」に関心を持ち、社会人のスタートはレストランや食品事業を幅広く展開する会社を選びました。当時の社長から「当社のレストランはホテルのサービスを目指す」ということで、その真髄を探るべく休日ごとにホテルのカフェやレストランを訪れていたところ、次第にホテルでの仕事に関心を持ち、30歳を前にして、東京にあるエアライン系の大型ホテルに転職しました。ホテルではレストランの仕事を中心に日々充実していたのですが、このまま大きな組織の歯車の一つで終わるのはどうなのか?と疑問を感じることが多くなりました。ある時、スモールラグジュアリーなホテルが神楽坂にできるという話が。自分らしさを発揮できる仕事に魅力を感じ、そのホテルに移りました。900室から60室のホテルへ、部屋数はもちろんですが仕事の範囲がまったく違いました。ウェディング担当から広報まで一人何役もこなし、キャリア形成には非常によい経験を積む毎日。ところが50代に差し掛かると、またもや、自分の人生はこのままで良いのか、何かやるべきことが他にもあるのではないか?という思いも持ち始めました。
人と人をつなぐ喜び
神楽坂のホテル勤務の終盤、自分がやるべき仕事は何か?を考えていたなかで、人と人をつなぐことが自分の一番得意なことで、それこそが使命ではと感じ始めた時、旧知のお客様から新しい美術館構想の話を聞きました。その美術館では来訪者にアートを楽しんでいただくというホスピタリティも提供するということで、ホテルでの経験を買われてプロジェクトマネージャーとして参画することに。ゲストがアートと共に快適に過ごしていただく視点で施設設計にも関わりました。時には、プライベートジェットで来訪するようなハイエンドのお客様向けに心に残るおもてなしを工夫するなど、従来の美術館にはないサービス、企画も立案していました。


キャリアの総仕上げにふさわしいR YACHT
前職の美術館はまさに地図に残る大きな仕事でした。それと同じくらい、記憶や歴史に残るプロジェクトがR YACHTの取り組みだと感じています。それも、立ち上げメンバーとして加わることができるということでしたので、自分のキャリアの総仕上げとして挑戦してみることにしました。
就航後はホテルマネージャーとして乗船することになると思います。様々な経験で得た知見のようなものが私にあるのだとすれば、それを生かしたサービスをお客様に、ノウハウは一緒に働く後輩たちに、それぞれ届けていきたいですね。客船のホテルマネージャーは「何でも屋」とも言われるそうですが、実は私、それが嫌ではないのです(笑)。今までのように何でも取り組んでいきますし、後年、「いつも一生懸命に動いていた郡司というホテルマネージャーがいたな」と後輩たちが語り継いでくれたら最高ですね。
健啖家として、休みの日の過ごし方
長年親しんだ「食べ歩き」は今も続いています。新しいレストランの情報があれば夫婦で自然と足が向いてしまいます。そして、私の永遠のマイブームともいえるのは「干物」。熱海の少し先にある網代の干物屋さんに時折訪ねるのですが、いつも感動の味です。それと年齢的に、またこれから始まるビッグプロジェクトに備えて、健康管理には特に気を付けています。プールで泳ぐことも習慣として取り入れ、万全に仕事に向き合える体と心づくりを大切にしています。
